* 「敬老の日」に寄せて 〜団塊の世代をどうする〜
山陽日日新聞掲載の論文
今年も、また「敬老の日」がやってきた。各地で高齢者が招待され、演芸や記念品贈呈、食事がふるまわれ、イベントが終わる。しかし、これ位の事は介護保険上の通所サービスや入居施設で日常的に行われている。しかも入浴サービス付きである。要介護認定を受けた人にとっては、毎日が「敬老の日」である。

厚生労働省によると、全国で九月末までに百歳以上になる高齢者は過去最高の二万五千六百六人。昨年より二千五百六十八人増え、その増加率は11%である。まさに「長寿大国ニッポン」。高齢者は、毎年毎年増えていき、所謂、団塊の世代が七十五歳以上となる二〇二五年頃、日本は高齢化のピークとなる。

昭和二十二年から昭和二十四年に生まれた戦後のベビーブーム、団塊の世代は八百万人、その前後に生まれた人を加算すると一千万人以上となり、実に、日本人口の10%となる。これらの人が物心ついた頃、日本は貧乏であった。青鼻を手でぬぐいながら、押し合いへし合いつつ、豊かさを求めて突っ走った。

マンガで育ち、受験ブームで過当競争の波に揉まれ、学園紛争で大暴れし、高学歴、学歴社会を作り、白黒テレビに映し出されるアメリカのホームドラマで、その豊かさにド肝を抜かれ、高度成長期の先兵としてモーレツに働き、ニューファミリーと呼ばれる男女平等、友達家族を作り、父親の威厳をぶっ飛ばした。日本が豊かになるにつれ、個人消費ブームを引き起こし、一時、JAPAN as NO1と言わしめ、バブルに加担し、バブル崩壊後は、長期不況を味わい、窓際族、リストラの憂き目にあい、そして間もなく定年退職となる。

戦後民主主義、金持ちニッポンを作るため砂ボコリをあげながら猛進した巨大な塊が、他の人に養ってもらう「従属人口」となってしまう。

団塊の世代は、戦後の日本が作り上げた必然的寵児である。エネルギッシュで自己主張が強く、個性豊かである。他人と同じ、横並びが嫌いである。そのくせ、大きくはみ出ることも好まない。日本を豊かにし、長寿大国にした先兵であるという自負がある。しかも多くの人が持ち家で、かなりの貯蓄もあり、年金ももらえる。即ち金持ち世代である。

こういう厄介な人達は、ケチった医療、官僚の胸三寸、算盤合わせで右往左往する介護保険制度、プライバシーのない画一的な狭い入居施設、お仕着せの福祉に満足するはずがない。

これから三十年、沈没しかかったニッポンは、この厄介な、海千山千の特大の塊を、どうケアしていくのだろうか。団塊の世代の一人として他人事ではない。(長坂晋)

「山陽日日新聞発表の論文を引用」(2005年9月)